厄年とは
日本には古来より、特定の期間(年齢)を「厄年」として
忌み慎むならわしがあります。
厄年は厄災の多い年として広く知られていますが、
厄=役として役割・試練の意味もあり、役を引受けて自己を高め、
また試練を乗り越えて共同体に奉仕する年ともいわれています。
厄除の意義
神道では、人間は神々の分靈(わけみたま)を宿す存在とされ、
この世界を創造する役割を与えられていると考えます。
しかし清濁の交じり合う世界では、
罪(つみ=心身が曇る)穢れ(けがれ=活力が減衰する)などによって
人間本来の力が阻害されます。厄年は特にこの傾向が強まる年(時期)として、
古くから認識されてきました。
そこで、神々のお力をお借りして厄(罪、穢れなど)を袚い清め、
本来の姿や力をとりもどし、役(役割、使命)を引き受けられるように、
神社に参拝し祈願する習慣が生まれました。
令和7年(2025)乙巳
厄年一覧表男女共通
- 令和7年2月3日(立春)から
- 令和8年2月3日(節分)まで
前厄 離宮(七赤金氣性)
- 昭和6年生(1931)
- 昭和15年生(1940)
- 昭和24年生(1949)
- 昭和33年生(1958)
- 昭和42年生(1967)
- 昭和51年生(1976)
- 昭和60年生(1985)
- 平成6年生(1994)
- 平成15年生(2003)
- 平成24年生(2012)
本厄 坎宮(八白土氣性)
- 昭和5年生(1930)
- 昭和14年生(1939)
- 昭和23年生(1948)
- 昭和32年生(1957)
- 昭和41年生(1966)
- 昭和50年生(1975)
- 昭和59年生(1984)
- 平成5年生(1993)
- 平成14年生(2002)
- 平成23年生(2011)
後厄 坤宮(九紫火氣性)
- 昭和4年生(1929)
- 昭和13年生(1938)
- 昭和22年生(1947)
- 昭和31年生(1956)
- 昭和40年生(1965)
- 昭和49年生(1974)
- 昭和58年生(1983)
- 平成4年生(1992)
- 平成13年生(2001)
- 平成22年生(2010)
八方塞 中宮(三碧木氣性)
- 昭和10年生(1935)
- 昭和19年生(1944)
- 昭和28年生(1953)
- 昭和37年生(1962)
- 昭和46年生(1971)
- 昭和55年生(1980)
- 平成元年生(1989)
- 平成10年生(1998)
- 平成19年生(2007)
- 平成28年生(2016)
- 厄年の算出は九星術(気学)に基づいております。
- 誕生日が誕生年の立春(2月3日頃)以前の方は、前年の生まれとして判断します
(例)
昭和58年1月3日生まれ → 昭和57年生まれ(厄年ではない)
平成元年2月10日生まれ → 平成元年生まれ(厄年にあたる) - 特に注意すべき厄年:男性 昭和59年生(数え年 42歳) 女性 平成5年生(数え年 33歳)
- 厄祓いの祈祷をご希望の方は、事前にご予約ください。
厄年の傾向と対策
傾向
- 自分の弱点、特に精神的弱さ、肉体的弱さ(病気)が表れやすく、苦労する
- 他動的に困難・不幸が訪れる、またそれらが重なりやすい
- 意固地になりやすく、行動が裏目に出やすい
対策
- 敬神祟祖を心がけ行動する、神仏、共同体、他者の助けを借りて素直に感謝する
- 我執を捨てて、公益のためを心がけ、自分の出来る方法・範囲で奉仕する
- あがくのを止め、覚悟を決め、困難を受け入れ楽しむ
それぞれの厄年について
前厄 まえやく
本厄の前年にあたり、表面上は運気順調に見えても内面は衰運に向かい、褒賞評価、悪事露見など良くも悪くも表面化し易く、表裏の隔たりと吉凶の落差が大きくなる年回りとされています。奢侈(しゃし:過度のぜいたく)に流れる、火難、離別、争い、契約(証書・印鑑)の過ちなどに注意が必要となります。いままでの年で奉仕、陰徳、努力を重ねてきた方は、名誉に浴し評価される傾向があります。しかし来年は本厄に入るので、前年として慎み、誘惑に乗ってヤケドしないように注意しましょう。
また、うまく活用すれば先見の明を養い、悪癖や悪縁と決別する機会でもあります。
本厄 ほんやく
本来の厄年であり、衰運の極みで停滞し、経済的困窮、性的問題、病難、盗難、水難などに遭いやすい年回りとされています。他動的に問題(役割)が押し寄せるので悩みが多くなりますが、自重して忍耐と慎重さをもって乗り越えれば、必ず後々の糧となります。
また、今後の計画を練る、準備する、学び研究するには良い時期であると同時に、物資面の追及より精神面の精進が大切な時となります。内省し修養する一年と覚悟を決めて、うまく活用して将来に繋げましょう。
後厄 あとやく
本厄の翌年にあたり、運気は緩慢に上昇に向かうも低迷しています。物事の運びは遅く、焦りや迷いが生じ易い年回りとなります。拙速、軽挙、独断専行に走らず、頼れる目上や識者の力を借りながら、下積みの様な努力を続け、力を蓄える時期です。
今後の基礎固めとして、誠実に地道な努力を継続すれば、後の発展に大きく寄与します。ここで培い確保された地盤が、厄年を抜けてからの底力として発揮されます。
八方塞 はっぽうふさがり
周囲の統制や諸事の調整役として、中央・中心を担う「役」の意味合いが強い年回りとなります。前年の高い運気を引き継ぎ進む気運が働きますが、内面の充実を図り、行き過ぎ・やりすぎに注意し、対人関係と健康管理に気を配り、自分の苦手な面は他者に任せ、変化の波を調えましょう。この年は、独立と依存など相反するもの統合し、偏りや弱点を調整するためのバランスの取り方、矛盾の扱い方を学ぶ機会です。(例:周囲に依存気味→主体性を持ち行動する、独断気味→他者を信頼して任せる)
自我を通して無理をすれば八方(全ての方向)が塞がり、陰徳を重ねて周囲との和を保てば「八方開き」と言われています。
厄年の由来などについて
思想背景
自然をよく観察した古代人たちは、人間の生死もまた天体の運行や季節の推移のように、自然の法則・周期の影響下にあることを知り、常に変動する人間の「波」を感じていたのでしょう。人間が生まれ持ったいのちの波(バイオリズム)による、ある期間や年齢の盛衰……つまり、運命(生命の運行)を知り活用することは、人類の遺伝的な記憶と言えるのかもしれません。ゆえに、厄年の思想は東洋や日本に限ったものではなく、世界的に普遍で歴史も古く、それぞれの国や地域により、厄落としや厄除け、年祝いの様な風習も見られます。厄年の年齢(期間)とその理由については、世界各地や日本においてもさまざまですが、それぞれの歴史、文化、学問、地理、気候などの影響により、人間が生きる上での経験則や知恵として培われたと考えられます。
日本では、古代中国より伝来した陰陽五行思想や易からの影響を色濃く受けています。土着の文化と渡来の文明が複雑に混じり合い、現在の厄年に対する考え方が成立したようです。
起源と歴史
厄年の起源と歴史には、大きく分けて二つの流れがあると考えられます。ひとつの流れは、古代中国から仏教や儒教や道教が伝えられた時代、医学とともに伝来した年忌(厄年の概念)と、外来の暦学(天文学)、占術、医学の背景にある陰陽・五行と易の思想を基礎として、日本独自の発展を遂げた陰陽道にあります。陰陽道では、暦学から特定の時期、占術から人それぞれの盛衰、医学から体調の変化など、それぞれの知識を背景に「厄年」を選び出し、祈祷など呪術をもって回避する方法がとられ、平安時代には公家に対する影響力を増し、室町時代頃には民間への浸透が進みました。
もうひとつの流れは、民俗学から提唱されている「役年」説です。村などのそれぞれの共同体において行われた土着の通過(成人)儀礼として、身を清め行動を慎み、神仏と社寺に奉仕する「役」を担い、周囲に認められる年齢と認識され、還暦などとともに年祝いであったといいます。地域によって年齢もその理由もさまざまだったようですが、陰陽道が浸透するにつれて「厄」と「役」の思想が混じりあい、2つの流れが融合して、共通する厄年の年齢が周知されるようになったのでしょう。そして江戸時代に入り、民間暦の普及とともに厄年が一般化し、社寺での厄除けが流行しました。数え年での男性25、42、61歳、女性19、33、37歳の説が広く流布したのもこの時期です。現在に至るまで、民間に広まったこの数え年の説と、特権階級が利用した陰陽道の九星術(後述)により算出した年齢が、日本の厄年の双璧として定着しています。
算出の根拠
当神社の厄年の算出(計算方法)は、九星術に基づいています。数え年の説も九星術で見ると共通する面がありますが、九星術は二十四節気の立春を年齢の区切りとして判断するので、少しズレが生じます。
九星術とは、古代中国神話の思想に始まり、渡来した陰陽五行と易の思想を基礎として、陰陽道の中で日本独自の発展を遂げた占術です。九種類の星(天体ではなく属性)を暦と方位に連動させ吉凶を判断するもので、秘伝として伝承されていました。この占術は、平安時代には為政者(公家)や知識階級(陰陽師)の人々に独占されていましたが、戦国時代には戦略の道具として利用され、江戸時代になってから民間に伝えられました。
その後、明治~大正期に「気学(きがく)」として新たに体系化され、現在は気学や「九星気学(きゅうせいきがく)」と呼称される占術として、広く普及しています。